2017年01月16日
真実の歴史
早いもので1月も半ばになり、日本は大寒波の襲来により、
各地で大雪の被害が出始めています。
庄内でも降りましたね〜
今朝の鶴岡市内では雪による交通渋滞が各所で発生したようです。
車の運転には皆様、十分にご注意ください。
悪天候の日は、出かけるのを控えて読書に勤しむのも悪くありません。
詠みたくて買ってしまった本も増える一方なので、
今日は久しぶりにじっくりと読書。
今読んでいる本はこちら
↓

高橋洋一氏はデータ分析・統計から導きだされた結果を基に
これまで・これからの経済を語っています。
そのため、過去の事例についてはモデル化されていて理解しやすく、
将来の予測については定量的で説得力があり、
予想が当たる打率も良い、日本ではめずらしいまともな経済学者だと思います。
この本のプロローグの中から少し抜粋して
ほとんどの人が間違った認識をしている点を
紹介したいと思います。
⑴高度経済成長は通産省の指導のおかげ → 間違い
城山三郎の小説「官僚達の夏」がベストセラーになり、
ドラマ化されたりしたので、私もそうだと思っていましたが、
これは間違った認識でした。
実際には、産業政策が効果を上げたことなどほとんどなく、
通産省の業界指導は役に立たなかったのです。
むしろ、通産省に逆らって四輪車に参入した
本田技研工業のような企業が戦後日本の発展を支えてきました。
戦後の日本産業を引っ張ったとされる
ホンダ、トヨタ、パナソニック、ソニーなどが
通産省の指導で伸びたと思っている人はほとんどいないとのこと。
高度成長を支えたのは主に為替要因です。
1ドル=360円の圧倒的に有利な為替レートが
輸出産業と高度成長を支えてきたのです。
⑵1ドル=360円時代は為替に介入していない → 間違い
昔は1ドル=360円の固定相場制でした。
私も間違って認識していたのですが、
固定相場制というのは、放っておいても
為替レートが維持される制度ではありません。
実は1ドルが360円から前後しそうになったときには、
日本政府が猛烈に為替介入をしていたのです。
決められた為替レートを維持するために
介入し続けるのが固定相場制だったのです。
多くの場合、円高に振れないように
ドル買い介入が行なわれました。
そのために、円を刷る必要があり、
結果として、日本国内はインフレに向かっていったのです。
⑶狂乱物価の原因は石油ショックだった → 間違い
1973年から起こった「狂乱物価」の原因が
石油ショックにあると思っている人が多いが、
これは理由の一つにすぎませんでした。
実は、その前からすでに物価は急上昇していたのです。
ちょうど固定相場制から変動相場制に移り変わる時期で、
為替維持のためにマネーが大量に市中に供給されたため、
物価が上がったことが主因でした。
石油ショックはそれを強めてしまっただけににすぎません。
⑷「プラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった → 間違い
1985年の「プラザ合意」で、日本は「円高を呑まされた」と
信じている人もよく見かけます。
ちょうどレーガン大統領の「レーガノミクス」と呼ばれる
経済政策を打っていましたが、対日貿易赤字が
あまりにも大きかったため、国際的に圧力をかけて
円高・ドル安に「誘導した」というのです。
「円高になった」のは事実ですが、「誘導した」というのは間違いです。
1973年2月から制度上は変動相場制になりましたが、
その裏で大蔵省(現財務省)は「ダーティ・フロート」と
呼ばれる為替介入を続けていました。
プラザ合意までは裏の介入で円安誘導されていた状態だったのです。
プラザ合意以降、そうした介入をやめて、
為替レートを市場に任せる、「本当の変動相場制」にしたのです。
⑸バブル期はものすごいインフレ状態だった → 間違い
「バブル期はどんどん物価が上がった。すごいインフレ状態だった」
というイメージを持っている人も多いでしょう。
確かに株価や土地の価格はどんどん上がっていました。
しかし、実は一般物価の上昇率は、ごく健全な物価上昇率であって、
「ものすごいインフレ状態」とは、とてもいえない数字です。
バブル期に異様に高騰していたのは、株式と土地などの
資産価格だけだったのです。
バブル期の実態は「資産バブル」でした。
ところが、日銀はバブルの状況分析、原因分析を
正しくできず、金利を引き上げて金融引き締めをしてしまいました。
資産バブルの原因は、金融面ではなく、
法の不備をついた「営業特金」や「土地転がし」などによる
株や土地などの回転率の高さだったのですが、
日銀は原因分析を間違えて、利上げと言う策をとりました。
回転率の高さによって起こった「資産バブル」に対しては、
利上げは効果を持ちません。
一方で、このトンチンカンな利上げによって
叩き潰されたのが、健全な一般物価でした。
以降、日本は深刻なデフレが進み、
「失われた二十年」を経験することになったのです。
各地で大雪の被害が出始めています。
庄内でも降りましたね〜
今朝の鶴岡市内では雪による交通渋滞が各所で発生したようです。
車の運転には皆様、十分にご注意ください。
悪天候の日は、出かけるのを控えて読書に勤しむのも悪くありません。
詠みたくて買ってしまった本も増える一方なので、
今日は久しぶりにじっくりと読書。
今読んでいる本はこちら
↓

高橋洋一氏はデータ分析・統計から導きだされた結果を基に
これまで・これからの経済を語っています。
そのため、過去の事例についてはモデル化されていて理解しやすく、
将来の予測については定量的で説得力があり、
予想が当たる打率も良い、日本ではめずらしいまともな経済学者だと思います。
この本のプロローグの中から少し抜粋して
ほとんどの人が間違った認識をしている点を
紹介したいと思います。
⑴高度経済成長は通産省の指導のおかげ → 間違い
城山三郎の小説「官僚達の夏」がベストセラーになり、
ドラマ化されたりしたので、私もそうだと思っていましたが、
これは間違った認識でした。
実際には、産業政策が効果を上げたことなどほとんどなく、
通産省の業界指導は役に立たなかったのです。
むしろ、通産省に逆らって四輪車に参入した
本田技研工業のような企業が戦後日本の発展を支えてきました。
戦後の日本産業を引っ張ったとされる
ホンダ、トヨタ、パナソニック、ソニーなどが
通産省の指導で伸びたと思っている人はほとんどいないとのこと。
高度成長を支えたのは主に為替要因です。
1ドル=360円の圧倒的に有利な為替レートが
輸出産業と高度成長を支えてきたのです。
⑵1ドル=360円時代は為替に介入していない → 間違い
昔は1ドル=360円の固定相場制でした。
私も間違って認識していたのですが、
固定相場制というのは、放っておいても
為替レートが維持される制度ではありません。
実は1ドルが360円から前後しそうになったときには、
日本政府が猛烈に為替介入をしていたのです。
決められた為替レートを維持するために
介入し続けるのが固定相場制だったのです。
多くの場合、円高に振れないように
ドル買い介入が行なわれました。
そのために、円を刷る必要があり、
結果として、日本国内はインフレに向かっていったのです。
⑶狂乱物価の原因は石油ショックだった → 間違い
1973年から起こった「狂乱物価」の原因が
石油ショックにあると思っている人が多いが、
これは理由の一つにすぎませんでした。
実は、その前からすでに物価は急上昇していたのです。
ちょうど固定相場制から変動相場制に移り変わる時期で、
為替維持のためにマネーが大量に市中に供給されたため、
物価が上がったことが主因でした。
石油ショックはそれを強めてしまっただけににすぎません。
⑷「プラザ合意」以降、アメリカの圧力で政府が円高誘導するようになった → 間違い
1985年の「プラザ合意」で、日本は「円高を呑まされた」と
信じている人もよく見かけます。
ちょうどレーガン大統領の「レーガノミクス」と呼ばれる
経済政策を打っていましたが、対日貿易赤字が
あまりにも大きかったため、国際的に圧力をかけて
円高・ドル安に「誘導した」というのです。
「円高になった」のは事実ですが、「誘導した」というのは間違いです。
1973年2月から制度上は変動相場制になりましたが、
その裏で大蔵省(現財務省)は「ダーティ・フロート」と
呼ばれる為替介入を続けていました。
プラザ合意までは裏の介入で円安誘導されていた状態だったのです。
プラザ合意以降、そうした介入をやめて、
為替レートを市場に任せる、「本当の変動相場制」にしたのです。
⑸バブル期はものすごいインフレ状態だった → 間違い
「バブル期はどんどん物価が上がった。すごいインフレ状態だった」
というイメージを持っている人も多いでしょう。
確かに株価や土地の価格はどんどん上がっていました。
しかし、実は一般物価の上昇率は、ごく健全な物価上昇率であって、
「ものすごいインフレ状態」とは、とてもいえない数字です。
バブル期に異様に高騰していたのは、株式と土地などの
資産価格だけだったのです。
バブル期の実態は「資産バブル」でした。
ところが、日銀はバブルの状況分析、原因分析を
正しくできず、金利を引き上げて金融引き締めをしてしまいました。
資産バブルの原因は、金融面ではなく、
法の不備をついた「営業特金」や「土地転がし」などによる
株や土地などの回転率の高さだったのですが、
日銀は原因分析を間違えて、利上げと言う策をとりました。
回転率の高さによって起こった「資産バブル」に対しては、
利上げは効果を持ちません。
一方で、このトンチンカンな利上げによって
叩き潰されたのが、健全な一般物価でした。
以降、日本は深刻なデフレが進み、
「失われた二十年」を経験することになったのです。
Posted by 五十嵐かずひこ at
14:44
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